ABOUT

私たちについて

福井県のニットは
肌着メリヤスから

福井県は、昔から縮緬織や羽二重織などの織物産地の中心として栄えてきましたが、昭和初期に丸編機が、続いて昭和13年頃に経編機(トリコット機)が導入され、綿糸による肌着メリヤスの製編を始めたのが福井県ニット産業の始まりとされています。
どちらも、戦争や福井震災等により、一時は大打撃を受け衰退しましたが、肌着メリヤスを中心に徐々に復活し、業界の規模を拡大していきました。

合成繊維の出現と
ニット産業の拡大

終戦後、徐々に産業が復活をし始め、トリコットに適したナイロン、アセテート等の合成繊維が出現 すると、経編では、女性の洋装化の波に乗り、昭和33年にナイロン糸によるトリコット製のスリップが 驚異的なブームを引き起こし、一世を風靡しました。
また、昭和30年代後半からの高度成長時代に入ると、織物業者による多角化戦略として丸編・経編への参入が相次ぎ、アメリカのジャージィブーム(カットアンドソー)の波に乗り肌着専門(メリヤス)からスポーツ衣料、子供服などのアウター分野(ジャージィ素材)へ生産品目が拡大、丸編・経編共に機械も広幅化し、衣料から産業資材、メディカル資材等、その技術・用途は更に拡大へと向かっていきました。

福井県は
スポーツウェア製造の
元祖

昭和20年代なかば、スポーツウェアと言っても柔道着など織物製の物しかなかった時代に福井県で ニット(ジャージィ)タイプのスポーツウェアメーカーが産声を上げました。
武生莫大小製作所、後のヒットユニオンやアシックス(ウェア部門)の前身となる会社で、米国ベースボールで着用されていた野球用ストッキングに着目し、ストッキング用の機械を開発し製品化に成功、丸編によるアンダーシャツと併せ、一世を風靡しました。
また、東京オリンピック大会で海外選手の着用する明るく華やかなカラーのスポーツウェアが注目を集め、その後は、学校体操服にもカラージャージィを取り入れるなど、スポーツウェアの産地として発展してきました。
このような歴史的背景から、福井県には、スポーツウェア用素材の編立から付属パーツの製造(横編)、そしてウェアに製品化するまでの一貫製造が可能な機能が集まっており、まさに「素材から製品まで」のすべてを福井県内で製造することができます。

1935年

織物業者数社が、新分野開拓として国産トリコット機を導入。
福井県はわが国初のトリコット企業地として飛躍する。

1947年

横編の業者が、和歌山から丸編機40台を導入。肌着メリヤスの製造が始まる。

1955年

武生市において、ポリプロピレンのカラートレーニングウェアを生産。
今日のスポーツウェア業界の草分けとなる。

1958年

驚異的なトリコットブームが現出。トリコット製のスリップが一世を風靡。
カットアンドソーの外衣用編地の出現。

1963年

カットアンドソー外衣用丸編地のアメリカ輸出の拡大。
ポリエステルトリコットシャツ地の輸出の拡大。

1972年

ドルショックと対米繊維輸出自主規制により、不況に突入。
横編業界は国による設備共同買上げを実施。

1978年

世界的なニット離れと不況により、
全国でメリヤス編立機の共同廃棄事業が実施される。

その後も、円高やリーマンショックを始めとする幾多の困難を、用途開拓や新素材開発により乗り越え現在に至る

組合名

福井県ニット工業組合

住所

福井県福井市大手3丁目7番1号 ( Google Maps

電話番号

0776-26-5152

FAX番号

0776-26-8870

設立年月日

昭和33年2月18日

組合員数

36社

賛助会員数

14社

構成業種

丸編製造業、経編製造業、横編製造業、ニット製品製造業

主な事業

ニット生地及びニット製品製造業に関する指導及び教育、
情報収集及び提供、調査研究他


1957年

福井県メリヤス調整組合設立。 組合員7社

1958年

団体法の制定により、名称を福井県メリヤス工業組合に変更。

1959年

福井県経編メリヤス工業組合設立。

1972年

横編業界は国による設備共同買上げを実施、
福井県メリヤス工業組合に吸収合併される。

1978年

世界的なニット離れと不況により、
全国でメリヤス編立機の共同廃棄事業が実施される。

1979年

名称を福井県メリヤス工業組合から福井県ニット工業組合に変更。

1980年

非出資組合から出資組合に移行。

2000年

福井県経編メリヤス工業組合と合併。
名称は福井県ニット工業組合を継続。

2007年

福井県ニット工業青年部会の設立。
賛助会員制度の導入。組合創立50周年記念事業の実施。

2017年

組合創立60周年記念事業の実施。